同窓会報「白金」第17号に、2016年1月17日に開催した「白金小学校開校140周年記念同窓会講演会」をダイジェスト版で掲載しましたが、大好評で講演の詳しい内容を知りたいとの声を多数いただきましたので、児玉先生のご厚意により改めて講演録としてアップさせていただきました。
児玉先生は放射線の専門家として、今なお原発事故による放射能汚染に苦しむ福島を、妊婦や子どもが安心して暮らせる町にするために奮闘されています。本講演では、専門家としての立場から、美しい国土を取り戻すために今必要なことは何か、最新の技術でどこまで対応できるのか、ということをわかりやすく話してくださいました。
「福島のこどもが胸をはれる環境の回復のために」
教授・東京大学アイソトープ総合センター長・医学博士
児玉 龍彦 先生(昭和40年3月卒業)
教授・東京大学アイソトープ総合センター長・医学博士
児玉 龍彦 先生(昭和40年3月卒業)
どうもご紹介ありがとうございます。(スライド:入学の日集合写真) 昭和40年卒ということで、ちょうど私がいた間は鈴木先生と行方先生が校長先生でした。兄弟3人、長兄次兄と私が末っ子なんですけれども白金の卒でして長兄が昭和35年の3月卒業、すぐ上の兄が昭和39年3月の卒業だったんですが、ちょうど私たち昭和40年卒の同期会を去年の暮れにやった日にクモ膜下出血で亡くなってしまいまして残念な気持ちです。私自身も血管とかがんの治療薬を作るっていう内科の医師として仕事をしているのですが、兄の動脈瘤とか全く気がついていませんで、やっぱり健康管理ってすごく大事だなぁと思っています。昭和34年に入学致しまして1年5組に入りました。今日はその頃担任されていた宝田先生他の方もご参加と聞いてとてもうれしく思っております。
東京オリンピックがちょうど卒業の年だったんですが、「くじ」がありまして、白金小学校の中で1クラス40人のうち20数人が見に行けて10数人は教室に残って勉強を続けるという(笑)、その10数人の方だったのを覚えています。小学校時代にすごく印象に残っている先生が2人いまして5年と6年の時の担任の平田富美江先生に、知識っていうのとかヒューマニズムっていうのが大事だっていう感じを、なんていうか、上等な学問というかそういうのが大事だというのを教わった。それからもう一つは塾で「三原塾」っていうすごいところに押し込まれまして、学校が終わると行って2時間正座して、姿勢が悪いと定規でペシッと鍛えられる。そこでは「なせばなる、なさねばならぬ」という努力と根性でひたすらやるっていうのを教わりまして、白金で高尚な知識といろいろな考え方というのを習って、塾で根性で頑張れっていう、その両方の面を受けたことがすごくその後に大きな影響を与えたっていうか三つ子の魂百までというか、その二つの環境が印象的でした。私は越境入学でして、麻布山善福寺の隣、今「元麻布ヒルズ」になっているところに住んでおりました。クラスで一番小さくて、女の子にもモテないし一人でひがんで・・で、(スライド:当時の仲間)手前に大きく写っているのが水田君ていって今麻布の体育の先生になってる人で背も高くて健康優良児で勉強も出来てハンサムで素晴らしい奴なんですけど、右下に写っているのがちょうど去年の暮れに亡くなってしまったすぐ上のマサヒコで、マサヒコ・タツヒコっていつも兄にくっついていまして、あと川口君とか、仁平君とか綱島君とかと自宅で遊んでいたというそういうことを思い出します。
■高校時代から遺伝子を研究
白金を出て、教育大附属駒場っていうのに行きまして、そこから東大の医学部を出ました。高校時代に生物部で遺伝子の研究というのを始めまして、内科なんですけど遺伝子工学っていうのをやりたいということで、東大では難しいっていうんで昭和60年にマサチューセッツ工科大学の研究員になって、(アメリカに)参りました。兄が血管の病気で亡くなりましたが私も本業は血管の生物学というのをやっていまして動脈硬化の原因の遺伝子を採るっていうことでMITっていう所へ行ったんですが、まあやれどもやれども上手くいかなくって、だけどまあこの時は三原塾の努力というかど根性というかなせばなるというか、ただやり続けるっていうんで、毎週1頭の牛を処理する作業というのを120週間やり続けて、その遺伝子採りをやっていたんですけどそのうちビザが切れちゃって、アメリカは(留学生の) J-1ビザは2 years waiverといって外国に行かないといけないっていうことになりまして、まあ色々やったけどどうもうまくいかないかなあということで日本に無職で戻るってことになって、家内と子供2人つれてどうするかなあと思ったんですが、その(日本に帰る)最後の日まで、三原先生の「なせばなる」で実験をやっていて、それで飛行機の中でその最後の日の実験の結果を見ていたらちょうどその動脈硬化の原因になっているスカベンジャー受容体っていう遺伝子を採るということができまして、(スライド:機内での自身と「ネイチャー」の写真)これがちょうど家内が撮ってくれた飛行機の中で発見している瞬間でして、その時はニューヨーク発JALの5便ていうのに乗ってましたんでそれにプラスミドJAL5ていう名前をつけて、そうするとあの前のテロ事件が起こるまでは5便に乗るとコックピットに案内されて離着陸を見せてもらえる特典にあずかったんですが、多分JALの便名がついている遺伝子ってのはこれだけじゃなかったかと思うんですが。動脈硬化の原因の遺伝子ってことで謎だった遺伝子が採れたら「ネイチャー」という雑誌の表紙にしてもらえまして、それで無職で戻ってきたんですけど東大の先端研というところの教授になりまして、内科の医者なんですけど自由に研究をやっていいという身分にしていただきまして、それで動脈硬化の薬で興和という会社と一緒にリバロというコレステロールを下げる薬を作ったり、遠藤章さんていう三共でメバロチンの素になるコレステロールを下げる薬を作った方がいてコレステロールのことを(研究した)。もう一つは、コレステロールで消化器の外来をやったりしてたんですが、そこでがんの薬を作るっていう内閣府の中心研究者っていう責任者になりまして、それでアイソトープを使って、一つはPETていう診断、もう一つはがんの薬をピンポイントに入れて、今やってるのは大腸がんですが。それから肺がんの薬は今度フジフィルムというところがアメリカで治験に入る薬、それから中外製薬と一緒にすい臓がんの薬だとかいろいろやったりしています。平成22年に内閣府の中心研究者になって、放射性物質を使ったがんの薬を作る責任者になったところで、今からちょうど5年前にあの福島の原発の事故が起こりました。
■浪江町の帰還に取り組む
今私が責任を持ってますのは、南相馬、(スライド:福島のマップ)ここは人口7万のところで、今5万人位の人が戻ってる格好になってるんですが、来年の3月に尾高地区というところの解除を目指しています。それから一番下になっています広野町っていうところは人口5000人の町で今5割くらいの人が帰還している。それから、去年の9月に楢葉町というところで、人口8000人の町なんですが一応ある程度の除染の進捗を見て帰還を始めましたがまだ5%です。で、この数値が示しておりますのはいわゆる除染とか何かをやって帰還が始まったっていっても環境が回復したから帰還しているんではなくて、まだ放射線汚染や何かが残っている大変な地域なんですが、やっぱり人間が住んでいないときれいにならないというか、人がいるところは南相馬やなんかで、やっぱり戻っているところはどんどんきれいになって、ですから今戻っている方、楢葉の5%というのは実際には地域の町長さんとか町の方とかいろんな、そこに長くずっと住んでいてその町を非常に愛されている方、お寺の方とか環境をきれいにしようという方が戻っていく。そういう意味でよく間違えられるんですが解除とか帰還というのは福島の環境回復の始まりであってまだその第一歩にようやくたどり着いたというのが現状だということです。更に一番大変な今もっぱらやっている浪江町というところ、テレビでTOKIOというグループが「ダッシュ村」っていうのをやってたのは実は浪江町でこの(スライド)赤い線が通っているところがまあ原発から流れた放射線が多いところなんですが、その浪江町の帰還というのをやっています。これが非常に大変で8割が帰還困難区域で2割くらいが予定通り除染が進んでいるところなんですが8割のところがダメで、たとえば白金小学校学区域で8割が汚染されたまんまで2割だけ戻れっていってもそれは商売もできないし学校もできないしってことで大変なんで、要するに戻るっていってもまだ端緒で始まっているだけだと。
結局福島の原発事故の汚染って原発事故から5年経っているんですが、あの放射性物質っていうのは何年かで、放射線を出してですね、元の放射性物質は無害なものへ変わっていきます。今一番問題なのは放射性セシウムて奴なんですが、セシウムは半減期が30年ですから30年で半分、60年で4分の1、8分の1になるのに90年かかります。ですからただ待っていたら100年200年ととても人が住めるようにならない。 で、逆にですね、よく甲状腺の問題や何かで言われてる放射性ヨウ素131、これは半減期が8日ですから8日で半分それで16日で4分の1、ひと月経ったら10分の1ですから2月経ったら100分の1で、そして半年経ったら100万分の1なんで放射性ヨウ素みたいなものはもう待っていればある程度、もう1年ぐらいでほとんど問題なくなってしまう。ところがセシウムはそうはいかないっていうことでセシウムをどう除くかということが問題になる。
■福島は豊かな恵みのある地域
福島の現地に行ってみると、日本の国のあり方っていうのがやっぱり東京で見ているとなかなかわからないものを見せられる気がいたしました。ていうのは、福島ですと海に行くとカレイとかヒラメが取れて飯舘とか南相馬は肉牛の産地でもありますし、楢葉やなんかは柚子の産地、お米もとれて川ではイワナとかアユがいると。それでブドウも育つしイチゴも育つっていうことで、地産地消の町、だから(TV番組の)「ダッシュ村」なんかも素晴らしかったですよね。TOKIOの人たちが廃屋になった農家をきれいにして、お米を作り、いろんなものを作り、山菜などを作りそれから山羊を育てたり、浪江の海の方に出てってお魚をとったり川でイワナとかヤマメをとったり、まさに地産地消の生活と、それから適度に常陸に近かったりいわきの町に近かったりとかいうことで産業があってという町だったんで地産地消というのがすごく大事という。そういう中で生きているっていう・・・。私も仕事でヨーロッパに行くことが多いと、ドイツ、イタリアって大体、フランスもそうなんですが、非常に大きい農業とか、おいしい地域の食材とかそういうところがあって、まあもちろんローマとかベルリンだとかパリだとか人の集中した街はあるんですけど、国土の圧倒的大半はやっぱり地産地消の地域であって、食べ物がおいしくて環境がいいっていうところが魅力っていうのがヨーロッパのいい地域だと思うんですが、それと同じようなものがちょうどあった福島だということであります。よく福島のことをもともと高齢化で人工過疎地域でもう未来がないところに放射線が降ったからもう未来がないんだみたいな言い方がされますが、女性の生涯出生率は福島の方が東京より全然高いです。だから東京は若い人を集めるけど、なかなか若い人が子どもを作りにくい。それに対して福島は地産地消のところで、子どもが生まれてくる率も非常に高くて。だいたい行くと、敷地が広いんですよね。一軒の家にこう、お父さんが住んでる家は昔からあってお米作りなんかやって結構立派になっていて、その隣に二世帯住宅じゃなくて積水ハウスかなんかできれいな家があって息子さんたちが住んでいるっていうから、しかもそれが場合によっては平屋でもいいようなもので。結構お金のあるところだとそこに馬用の馬屋なんかが建ってるようなところがあるという、そういう地域ですから日本の地域っていうのがそんなに簡単に潰れちゃうというイメージよりは、かえって豊かな恵みのある地域という感じをすごく感じます。
■原発事故のようす
原発事故っていうのがどういうことで起こったかっていうとですね、(スライド:ベントとメルトダウンのイラスト解説)原子炉っていうのは原子炉の中で核の反応を起こして温度が上がってきます、放射性物質が次々作られて。それで今回の事故は二つあります。一つは、だんだん冷却ができなくなってベントというのをやります。べントをやった瞬間に、一部の放射性物質が大量に出ます。これはキセノンや希ガスといったものが一番最初にすごい量出ていまして、このベントの時に出たキセノンの量は、チェルノブイリの何倍にもいくようなものです。で、もう一個はベントの後の方で水の中を通したりすると、いろんなセシウムやなんかが除かれていくということで、そういうものは比較的少なくいくはずだったんですが、ところが一部の、2号炉だと思うんですが、ベントができなかったところから、大量にセシウムなどが放出された。それで、これはあとで環境会議で鍵になるんですが、ヨウ素なんかは200度くらいで気化して、それでセシウムは641度なんですが、もっと怖いストロンチウムとかプルトニウムとかはもっと高い温度、1000度、2000度で気化してきますんで、そういう意味ではストロンチウムとかプルトニウムはあまり気体に出なかったというところから、放出された温度は641度よりは上で、1000度ちょっとぐらいまでのところではなかったかと推定する。(スライド:セシウム拡散のイラスト)これはあとで述べますように、ストロンチウムとかプルトニウムが放出された空気が少なかったということは福島にとって非常によくて、実はそれらが出ていたらもっと帰還は難しかった。それで空気と一緒に上へあがりまして、これはイオン体のセシウムというので空をさまよっているんですが、そうすると雨が降ったりするとどっと落ちてきます。それで福島ではですね、3月の14か15日頃に雪が降ったりしていまして、その頃にどんと落ちてますんで、その、プルームっていう放射性物質を含んだ空気がどこへ行ったかだけではなしに、その時に雨とか雪が降ったかっていうことが問題になる。それで東京ではその原発事故のあとに3月21日に雨が降りました。それと同時に、唐松浄水場やなんかから大量の放射性ヨウ素が出て、いったん子どもやなんかの基準値を超えてしまって、皆さんがペットボトルを買いに行ったのが多分3月21日だったと思うんですが、あれは空中で漂っているものが雨やなんかで落ちてくる、ということが言える。それでセシウムは雨が降って、地上に落ちてきますと、粘土っていうケイ酸アルミニウム、まあ雲母が砕けたやつですよね。それにものすごくよく吸着されまして、逆にセシウムが広がらないで済んだのは、この粘土が福島の土地に非常に多かったからなんです。それであの頃に私も南相馬に行っていまして、南相馬の稲わらを食べた牛が汚染牛ってなって、セシウム牛っていうのが問題になったことがありますが、手の切れる植物っていうのはケイ素が多いんです。さっき言ったケイ酸アルミニウムの多い粘土とくっつくのと同じように、ケイ素の多い植物にはセシウムが付着しやすかったということで、稲わらが危険だと。それで、一度粘土にくっついてしまうとそこに溜まるんですが、一部で粘土が流れ出て汚泥となりますと、それが川やなんかへ行ってダムの底だとか溜め池なんかへ溜まってしまう。ただですね、水の流れているところは非常に早くどんどんきれいになっていきますんで、扇状地三角州だとか、小学校の地理で習ったような、そういうところに粘土が溜まっていってしまって、あとでまた別の問題を起こしてまいります。
■DNAを壊す放射性物質
放射性物質は我々はいろんなものを診断や治療に使うんですが、放射性物質が怖い理由っていうのは、放射性が当たると生体の高分子っていうものを切ってしまう、切断するっていうことで、一番怖いのは我々の身体の中で一番高分子っていうと、遺伝子を伝えるDNAっていう、まあ生命の糸っていう、核酸の糸があります。(スライド:DNA破壊のイメージ図)これを切ってしまいますと、がんとかいろんな問題が起こります。それで増殖の盛んな細胞ほど、DNAって普通二重らせんになっているんですが、それが分裂するときに1本になる。1本になると放射線に非常に弱いことになりますんで、妊婦とか子どもが一番危険。大人でも放射線を当てると髪の毛が抜けるだとか、白血球が減るだとか、それから腸管の上皮で下痢だとかが起こるっていうことが起こります。ちょっと専門的になるんですが、(スライド:放射線影響のイメージ図)放射線にはα線β線γ線っていうのがありまして、α線っていうのが一番危ない猛烈な毒なんですが、α線っていうのは実は意外と簡単で、身体の中でも、1ミリも届かないくらい、簡単に遮蔽できる。でβ線っていうのがもうちょっと、2・3ミリ飛ぶんで、僕らはがんの治療にはβ線の核種というのを使っている。それに対して、よくいろんなところで皆さん測られる、放射線をよく測って何マイクロシーベルトっていうのは、ほとんどγ線です。γ線はいろんなところをスカスカ抜けていきますから、逆に言うと被害は生まれにくくて、PETとか診療に使うのはγ線です。っていうことは、逆に言うとですね、身体の中にα線とかβ線が入ったら非常に危険です。これはがんとかいろんな問題がものすごく起こります。それで今はいろんな除染とかなんかを空間線量で見てますが、今の福島で一番の問題は、食べ物に入るか入らないかだという風に最初から考えております。(スライド:外部被曝と内部被曝イメージ図)外から放射線が当たるっていうのはですね、変異を起こさせるには、皮膚が火傷になるくらい当てないとなかなか見えないんですが、身体の中に入っちゃいますとすぐにDNAなんかを壊してしまって、がんや色々な問題が起こります。それが一番典型的に出たのがチェルノブイリでして、甲状腺がんが0歳から20歳までの子どもさんに、数千人、4千人とも6千人ともいわれる数、だいたい事故から10年ぐらいをピークに起こっているんです。(スライド:チェルノブイリの子どもの甲状腺がん発生例グラフ)
■食品検査の基準値を厳しく
それであの、福島に最初は(アイソトープセンター長として)2011年5月からまいりまして、最初にやりましたのはとにかく子どもに当てないっていうことで、幼稚園やなんかの除染をただちに始めました。(スライド:幼稚園の計測・除染作業)ところが幼稚園やなんかの除染をやろうとするとですね、実際にはいろんな方がボランティアで除染をやろうっていうことをおっしゃるんですけれども、それはちょっと違うと思いまして。っていうのは例えば我々除染をやるときには、マスクもN-100っていうホコリを吸わない身体の中に入れないマスクを使いますが、ボランティアの方だとそういうこともわかりません。それで表土を5センチ剥ぐっていうのもちょっとやってみればわかりますが、ものすごい土木作業であります。それで南相馬でも、竹中工務店ってところにお願いして、いろんなゼネコンを使って、住民の方は施主になって、ここをきれいにしてくださいっていうのをやるっていうシステムを国会で主張したりしまして、それが今福島で行われているベースのものになっています。ですから、危険物を除去する、これは大規模な土木作業になるということであります。なぜそういうのを始めたかというと、一番最初の頃に、これは(スライド:体内セシウム検出率推移のグラフ)南相馬の市立病院の坪倉先生の結果をお借りしてきたものですが、実は一番最初の時期に、南相馬の子どもでホールボディカウンターというのをやりますと、身体の中からセシウムが検出される子どもさんが5割以上いました。東京でも先ほどヨウ素が水に入っていたということを申し上げましたが、実は3月15日の夜に、ずっと作業していたアイソトープセンターの職員は、3月16日の朝におしっこを見ましたら、放射性ヨウ素が出ていました。ですから、東京の人もおそらく3月15日に外へ出ていた方は、間違いなくいっぱい体内にヨウ素やなんかを吸い込んでいます。それでヨウ素は一過性ですから、あとで見たらばもう全く検出できませんが、そういうことが起こる。それでセシウムは半減期が30年ですから、ずっと残ってしまうわけですが、ちょうど子どもの場合は新陳代謝が激しくて、塩ですから塩化セシウムの格好であれば、どんどん体外へ出て行ってしまうということで、まあ一生懸命食べ物をとにかく、放射性物質を入れないということをやってまいりまして、だいたい2012年の1月までにはほとんど検出されなくなった。食べ物のブロックアウト、放射性物質をやめるということで、その時は残念だったんですが、南相馬の人たちの学校給食では南相馬の米やなんか、地産地消のものを使わないということを緊急避難としてとりました。それで、それとともに、食品の検査を非常に厳しくする。お水とか食べ物って怖いですから、どんどん溜まってきてしまいますから、それを抑えるっていうことで、厚生省やなんかへお願いして、この基準値っていうのを世界で一番厳しく、それまでは500ベクレルプロキロだったのを、お米を汚染されたのをずっと食べ続けても大丈夫なように、100ベクレルプロキロ以下にしました。(スライド:食品安全基準値)これはですね、100ベクレルプロキロっていうのは、昔あの、ビキニ島の水爆実験とか、ソ連がシベリアでツァーリボンバーっていう水爆実験やったり、中国が新疆ウイグルで核実験やったときに、日本にいろんなセシウムやなんかが空気から落ちてきています、その頃の最大値。だから我々が育った頃に食べたお米っていうのは、実はこの基準値ぐらいのところまでいっていたという歴史的なこともありますんで、そういう意味での一つの基準値というのを変えてもらった。
■お米の検査機を開発
これに向けてですね、お米の全袋検査の機械を作ろうと。(スライド:お米と魚の検査機械)そしたら、その当時の放射線審議会とかいう、まあ偉い人たちが集まって、そんなものはできるわけがないっていうことを言われまして。ところが僕らから見たらこれは全然可能で、っていうのはですね、我々PETっていう機械を先ほど開発しているっていうことを言いましたが、実はチェルノブイリの頃と比べて、島津の使ってるBGO検知器だとか、古河機械の使ってるGAGG装置っていうのは、だいたいこのチェルノブイリぐらいの400倍から1000倍くらいのスピードで検査ができる機械が作れることがわかっています。(スライド:GAGG、GBO画像)それであの、島津の北村さんとか、古河の水井さんっていうこの、なんていうんですかね、機械の開発って誰でもできるっていうんではないんですよね。この分野だとこの人っていう人しかいないんで、そういう人たちと組んで、まず島津の北村さんとお米の検査機を作りました。それでいろんなノウハウがあるんでとにかく日本の持ってる科学技術力、まあ島津はノーベル賞とってる人もいるくらい立派な会社ですし、古河機械金属も、ガーネットっていう宝石・・ですよね、放射線が当たると光が出るような宝石を作れるノウハウを持ってましたんで、そういったことを一緒にやりまして、それで2012年の始めには、福島で実地検査ができるようになった。(スライド:高感度に測定できる検出器イメージ)で、こういうのをやるときに何が難しいかっていうとですね、実はいろんなシグナルをとるっていうことが難しいんじゃなくて、ノイズを減らすっていうことが難しい。っていうのは、福島のどこもかしこもみんな放射線が降っちゃってますから、お米の感度をよく測ろうとすると、実際その降ってくっついた粘土があるところでお米を測らないとダメですから、そういう問題が出てきます。それを改良してさらに袋を持ち上げるのを、まあ福島で千何袋あっていちいち扱えない、それをパッと掴んで持ち上げる機械を一緒に開発したりしまして、千何袋をやる体制っていうのを、その年の暮れまでに作りました。(スライド:お米の検査作業)そうしましたらば、最初の年にやったときに、1千万袋のうち25ベクレル以下っていう、まあ他の地域よりいいくらいの米が、1018万袋で、基準値超えが71袋という風にできました。それで、これを見て私どもなにをやり出したかというと、次にこの71袋と出た田んぼの土壌改良だとか用水の改良、要するによく食品検査というと、生産者を鞭打つようなものだと言う人がいたんですが、全然逆でして、要するに生産者も汚いお米を作りたい人はいないわけなので、結局被害者なんですよね。そうすると、どこの畑がセシウムが出てくる可能性があるか、どこの田んぼが汚いかっていうのがわかると、そこを集中的にやればいい。田んぼを全部やってたらものすごくお金がかかりますが、逆に汚染マップから逆算していくと、ここの地域を徹底的にやれば、コストパフォーマンスよくやることができるということで、その次の年には全部の検査したものが100ベクレル以下になるようにできました。(スライド:検査値Web開示)ですから、全数検査っていうのは、消費者を守るっていうことが、生産者を守るっていうことになる。で、これ以上のセシウムが検出されたお米は、東電やなんかに買い取ってもらうという仕組みを作っていくことを進めていく。今の福島のお米の全部の袋にバーコードが付いていまして、皆さんトレースして見ることができますので、ぜひ福島のお米を買ってくださいということで、こういう風に言っていたら私も除染委員長なんですから少し手伝ってくださいと言われて、はい、いいですよと言ったら、教授室に一昨年の暮れに600キロお米が来まして(笑)、毎年年末は米を売って歩くという。去年は600キロ売りきったら、今年は900キロとか来たんです(笑)。でも、嬉しいことに今お米を作っている人っていうのは、個人名が袋を見るとはっきりしちゃいます。それで、この人は例えば有機堆肥でこういう風に作っていますとか、この人はコシヒカリの名人、この人は天のつぶっていうことで、私も生まれて初めてお米を作る人と直接向き合って、自分の食べているお米はこの人が作っているんだという風になりました。原発事故を契機に、福島を単に支援するっていうよりは、皆さんもぜひ作っている農家の方を指定していただいて、この人が作っているんだったら本当に責任持ってくれますよねっていうことが言えるっていうんですかね。最近はあの産廃業者に流れたハンバーガーがなんとか(笑)というような話も出ていますから、人の繋がりがないとやっぱり本当の地産地消とか、安心っていうものは得られないんじゃないかっていうことをすごく思っています。
■魚の全匹検査の体制を作る
次はですね、残っている問題はお魚です。(スライド:川魚と海魚)実はこれあんまり、一般のところでは言っていないんですが、川の魚が問題です。海の魚は、塩を排出しますから、大量の塩を飲み込んで、塩を排出し続けて生きている。ところが川の魚というのは、淡水で生きていますから、塩分を溜め込みます。そうすると、我々の知っている中で一番最高に内部被曝をしていたという人は、実は川魚をとっている方でして、そこでとっているヤマメとかニジマスとか持ってきてもらうと、みんな結構溜め込み出してしまっているという、残念な事態。そうすると、川をきれいにしていくっていうことを、やっぱり時間がかかっても最後までゆっくりやっていくということが、環境回復の中で一番大事な問題ではないかと思っています。もう一つはですね、先ほど言った、これ(スライド:ヒラメの放射性セシウム濃度グラフ)、ヒラメなんですけれども、実はヒラメは一番最初は10ベクレル以下でしたが、それが100ベクレルになり、1000ベクレルのものが出た。なぜかっていうと、ヒラメっていうのは、淡水と海水が混ざるところに一番いいヒラメがいる。で、先ほど言った扇状地っていうのは、要するに川が出てきて、淡水と海水が混ざるところなので、そこにさっき言った粘土やなんかが溜まってしまう。ただヒラメも今は大半はきれいになってきていますから、(スライド:水揚げされたヒラメ写真)これの検査機を作るっていうのを進めていまして、今度は魚の場合はこういう格好でたくさんあがってきますんで、これを次に今、鮮度を保ったまんまで、4度とかマイナス20度で、測れる機械っていうのを昨年暮れにようやく古河の水井さんたちが作ってくれて、アイソトープ協会で認定の機種となりましたんで、魚も全匹検査というのができるような体制が今できてきている。
■放射性のゴミをどうするか
次にやろうとしているのが放射性のゴミです。(スライド:放射性廃棄物集積所写真)先ほども申し上げたように、表面5センチにセシウムの付いている土が多いんで、小学校の校庭とか民家とか、5センチ表土を剥げばすごくきれいになります。それで、そこに客土をするということがやられていますが、(スライド)これは私が委員長を務めています楢葉町ですが、楢葉町は去年の9月5日に一応区域としては解除しましたが、まだ5パーセントの住民しか戻っていません。それはなぜかっていうとですね、一つはやっぱり、大量の放射性物質が、例えば民家のそばに仮置きとしてあります。そうするとこれのそばに住むっていうとなかなかですね、お孫さんに来てもらうとか、子どもを、ちっちゃい子を育てるとかいうのは厳しい。それからもう一つは、隣のところが帰宅困難区域とかいって、あるところに行って柵があって、こっから向こうは危険区域ですっていうと、その隣に家族で住むっていうことは非常に抵抗が出てしまう。ですから環境回復っていうのは、今帰宅困難区域っていわれているところもどんどんきれいにして一歩一歩進んでいくっていうのがないと、今まできれいにした区域でも、人が安心して住めるようにはならない。特に多いのは、除染やなんかやりますと、大量に出てくるこのゴミをどうするか、ということなんです。(スライド:セシウム回収型焼却炉図)実は、これを解決する技術というのが既にできあがっておりまして、(セシウムは)641度で気化するということですから、土やなんかをですね、この中にセメント会社関係の方がいらっしゃったらご存知だと思うんですが、実は今、日本の産業廃棄物の最終出口っていうのはセメント業界。東京でいろんなところの大規模開発をやると、3分の1はクロムだとかカドミウムに汚染されています。それで、そういう土壌をとって行って、今、日本でどうやっているかっていうと、そこを熱して気化させて除いて、残ったものはエコセメントっていう格好で高速道路や堤防に使われているというのが、今の産廃技術の基本です。(スライド:回収型焼却炉写真)それで、これを使って太平洋セメントというところと一緒にですね、なんとかセシウムを除けないかということで、1500度位に土を加熱しますと、セシウムが大体気化します。それをコージェネなどで急速に冷却しますと、これは物理法則ですから、必ず液体か気体に戻りますんで、99.99パーセント、フィルターで除けます。それで、唯一の問題はですね、もう瀬戸物やなんかでご存知だと思いますが、土の一部は加熱するとガラス化っていって、どろっと溶けてしまう。こうなるとセシウムは抜けないです。それで、日本のセメント業界が持っています特許っていうのは、ガラス化防止剤っていう技術を持っているんで、これを太平洋セメントやなんかに開発していただいて、郡山で最初この下水汚泥の回収の実験っていうのをやった。(スライド:実験結果表)で5万ベクレルプロキロだとか、6万ベクレルプロキロっていうのを、今の処理をやったらば、45ベクレル46ベクレルっていうことで、食品と同じレベルまで下げることができまして、まあ食べ物と同じレベルだったら環境中にいろいろ使っていいだろうということです。それでこれを今、次の段階として、じゃあこういうことをやったときに水や空気にセシウムが出ないかっていうことを実証を始めようっていうことで、(スライド:わらび平施設外観)これが先週の写真ですが、わらび平というところへ行って、こういうロータリーキルンで実際にセシウムを抜いていって、そこから出てくる空気とか水に線量流量計というのをくっつけて、外へ出さないというのを測るというのを今一生懸命やっています。これの機械のいいところはですね、(スライド:わらび平施設内部)これちょうど僕が紹介したところなんですが、左側にコンテナがありますが、コンテナの上ががま口みたいに開くようになっていて、このがま口をスポンと開けると、あとは機械が外にまったく漏らさないようにやれる密封型であります。それでこのコンテナの中に、線量の高いセシウムを含むフィルターやなんかのものが入ってまいりますと、これをそのままストンと閉じまして、それでがま口型のフレコンバッグがそのままコンクリートの密封遮蔽に入ります。そうすると、今、中間保管場っていうのを作るっていっていますが、地権者数千人のうち、まだご同意いただいたのは20人で、当分簡単にはそんな広大な敷地は確保できません。で、今の国有地やなんかに、もしただこういうことで、放射線物質の容量を大量に減らして、コンクリート型のコンテナの中へ入れるということができれば、それは今の法律では福島の汚染ゴミは30年後には福島から運び出すということになっていますが、まあ、はっきり言って今2千万リューベとか3千万リューベっていうものを動かすっていうのはとても無理であります。それをどんどん濃縮していって、こういう格好で輸送するっていうのが可能性だと思っています。
■森林の除染について
もう一つ重要なのは、森林でして、森林も今のようにバイオマス発電やなんかで、灰にして集めて、灰を濃縮していくということで、森林の対応策として、(スライド:バイオマス発電所イメージ)これは南相馬でやっているやつなんですが、機械化林業で汚染された森林地域を次々木やなんかを伐採して低質を剥いでいくんですが、これを全部ですね、従事する方は機械の運転席からやれる。そういうものの開発を進めています。それで、これはご覧いただく通り、日本のロボット技術を使いまして、あの運転席を鉛ガラスで遮蔽してフィルターを通して、運転席を陽圧にしまして、運転席の中にいれば被曝量も少ないし、作業はかなり、ご覧いただくように、人間が手でやっていた作業を機械でできる。そうすると実際には作業効率もすごく上がりますんで、バイオマススタッフでも採算が合うようになる。それで山っていうのは一度に切ると荒れてしまいますから、50年くらいかけてこういうものにしていくっていうことを、一番開発の基本にしたいという風に思っています。そうすると、焼却場を基本にですね、バイオマス発電で電力を作って、それをロータリーキルンでセシウムを濃縮して、コンクリの中に入れてやっていく格好によって、福島の環境技術を作ると。それでこういう環境技術ができてきたら、そういうのはロシアにも中国にもアメリカにも輸出するような技術になるんじゃないかということで、こう日本っていうのはすごい国で、やっぱり水俣湾の海底もすべて浚渫(しゅんせつ=海底の土砂などを取り去る作業)やってきましたし、それに新潟のイタイイタイ病だとか富山のカドミウム汚染も土壌改良ということをずっとやってきています。それで福島も、放射線物質の地点の実は7割は森林区域でして、森林の除染やなんかをやるっていうと、そんなものは金がかかるだけで無理だからやめなさいという意見を安易に話される方がいるんですが、実は山の水が川に流れてきて、海の魚を養います。それで人間が生きていく営み、我々の世代が次の世代に伝える日本の国土というものを、やはりきれいにしていくというのは、今住む住まないとは別に、我々の世代のところでやっていくべき責務ではないかと。そういう技術を作る中で、もういっぺん日本人の生き方というか、地産地消の美しい日本を作っていくということができれば、逆に今までの生産地とか消費地が分かれて、わけのわからないものを食べて健康への不安やなんかを感じているというところから、もういっぺん、日本の国土をきれいにするっていう問題が生まれてくるんではないかという風に感じています。
■放射性物質の回収は可能
それでこれは、(スライド:日の出村処分場写真)先ほど申し上げたロータリーキルンやなんかの技術が、実は東京都のゴミ処理では基本なんですよね。これは東京都の日の出村の処分場の写真ですが、ご覧いただくとわかるけど、埋めてるところがそんなに大きいわけではなくて、あそこにある再処理工場が基本。だから日の出村の処分場を管理してるのは、多摩リサイクル協同組合っていうところがやってます。それであの、目黒の清掃工場とか、我々の周りにも立派な清掃工場があって、そういうところがリサイクルの基盤になっているということをご存知の方も多いと思いますが、あそこの目黒の清掃工場がきれいになって、私の息子もあのすぐそばに住んでいますが、温水プールがあって、目黒川がきれいになって、桜並木になってと。で、福島の回復っていうのは、そういうことでできていくんじゃないかと。だから、環境をきれいにするっていうことを放棄してしまったら、福島の回復っていうのはありえないわけで、環境をきれいにしていくということはやっぱり非常に長い時間かかるけれども、計画的に、最新の技術やなんかを使ってやっていく。それでやっぱり非常に問題だと思いますのは、膨大な保管っていうのは実はですね、膨大な流出事故を起こします。放射性物質は、よく拡散してしまったら回収できないということを安易におっしゃる方がいますが、これは物理科学法則ですから、必ず回収することはできます。で、いかに粘り強く回収する作業をやっていくか。(スライド:膨大な保管の問題点と対策)それで例えば汚染水なんかでも、膨大に貯めていけば必ず漏れが起こります。タンクに入れてですね、水を貯めておくって、短期はできるんですが、大量長期になったら必ず漏れています。中間保管場っていうのもそういうのを作っていったら、やっぱり集中豪雨みたいなものが起こったら、去年の9月の飯舘村からフレコンバックが400袋流出しまして、私も即刻呼ばれて、翌日見に行ったら、南相馬の貯水池に1袋のフレコンバックが抜けた殻が流れ着いてきていました。そうすると、そんな状態ではとても安心して住民が戻るっていうことはできない。だから今、住民が帰還しているっていうのはそういう環境を変えて、よくしていくために大変なご努力をして戻って環境回復を始めていらっしゃる住民の方をやっぱりみんなで応援していくということがとっても大事なことなんではないかという風に思っています。
■日本の技術を世界に発信
それで、その鍵になりますのは、(スライド:まとめ)よくチェルノブイリではこうだったからという議論がされますが、20世紀の共産党のソ連と21世紀の日本では、科学技術のレベルが全然違います。それで21世紀の日本にふさわしいような環境回復の技術を持っていくということが福島のあれで、多分我々が育った頃には日本四大公害っていいまして、水俣だとかいろんな四日市だとか、今中国やなんかが経験しているような問題がありました。で福島も、環境技術を日本の国を挙げて作り上げていけば、きっと素晴らしいものが作れて、それは世界に冠たる技術になるんじゃないかという風に思っています。昔ちょうど四日市の公害問題のあとに、本田宗一郎さんたちがCVCCエンジンっていう、CO2を画期的に下げるエンジンを開発始めてまして、アメリカでマスキー法っていうのができて、アメリカのビッグスリーっていう自動車メーカーがそんなのはできないよという風に言った時に、日本のその環境に優しいエンジンが、ホンダのアコードやトヨタのエンジンがアメリカに行って、日本の自動車産業が世界に冠たるものになったように、福島の原発事故もネガティブな面として見るだけではなしに、そこに出てきた問題を我々の世代が解決していくことによって、やっぱり一部この今PM2.5とか、いろんなロシアのあれもアメリカも、核燃料で汚染された地域なんかいっぱいありますから、日本からそういうことを本当に、ロシアとかアメリカだとここがダメだったら移っちゃうって焼畑農業みたいなのができるような国土の広さがありますが、日本はそういうのがないわけですから、逆に汚れたところをきれいにしてリサイクルしていくしか日本の将来はないという風に思っています。そういう技術を作るということが、これからの日本にとって一番大事なことなのではないかと思っています。まあまだまだやり足りないことが多くて、今週これからいよいよ浪江っていう一番大変なところの帰還へ向けてのいろんな検討の作業に入るところですが、ぜひ皆様からもお力添えと支援をお願いしたいと思っております。どうもご静聴ありがとうございました。
質疑応答1
ありがとうございます。二つ質問がございます。
先生は「人が住んでいないときれいにならない」とおっしゃいましたが、これは「人が住んでいると掃除をするのできれいになるということでしょうか?」。もう一つは「お兄様が残念なことに亡くなられて、先生もお気づきにならなかったとのことでしたが、そういう動脈のことをケアするために、日ごろ気をつけるとしたら具体的にどういうことをしたらよいか教えてください。
(昭和35年卒業 男性)
後の方から、言いますとですね、動脈瘤の破裂だったんですね、兄の場合は。動脈瘤はMRAという脳の血管を映してみないとわからないです。 症状があるような大きい動脈瘤がある例は少なくて、小さい動脈瘤が破裂してしまうっていう・・・。だからある年齢60歳ぐらいを超えたらどこかで脳の血管を見るような、もう黙って寝ていればできるようなMRIで診るような仕組みがありますからそれは意味があると思っています。おんなじようにですね、昔のあれとだいぶ変わって来ていまして僕ら見ていると肺がんなんかもCTの検査で見つかる方が一番早期の方は多いです。ですからそういうイメージングでもって脳の血管だとかがんの検査をされるとあまり苦しくなくてしかも全身見ることができますのでそういう技術がすごく進んでいます。ちょうど今日の話はそういう技術をやっていたもので、放射線検査や何かを如何に感度良くやるかってことに詳しかったものでお役に立てたと思っています。
除染の作業っていうのは最初に南相馬に行った時に一般的な話ではないんですよね。例えば幼稚園。一般的にはある程度除染してきれいになっていたというところでも、滑り台の下とか見るとものすごく線量が高いんです。それで子どもさんが手をつくところが線量が高いっていうと、手についたものが口に入っちゃうような危険があると。それで環境汚染って、東京で見ているとこう線量がこれくらいって地図で見てこの地域は住めないんじゃないかってそういうこと感じちゃうんですけど、実際に行ってみると全く違います。浪江町の原発から一番近い請戸漁港というのは東大の柏キャンパスより線量が低い。で、大局的に見てもまだら状ですし、個々の一件の家でもまだら状でよくホットスポットとかいいます。そうすると環境回復っていうのは、ある点でこれできれいになったっていうのではなしに、大体まあ空間線量としてある程度下がった後でも危険なところがいっぱいあります。そうすると危険なところいっぱいっていうのは結局予算も限られている中で、住んでいる住民の方の意向が一番大きい。こういうところをきれいにしてほしいとか、こういうものをやってほしいっていう何か一般的なルールというよりも住民の生活の実態に合わせてやっていく。それで逆に言うとですね、家って住んでいないとどんどんダメになってしまいます。原発事故から5年経っていますが、実際に放射線被害よりも今戻る方にとっては害獣、イノシシとかハクビシンとか入っちゃった家とかだとかなり大改築しないと戻れないような状態です。家の中は本当は放射性物質降ってないからきれいなはずが汚れちゃってるところもいっぱいあります。地域のコミュニティってやっぱり時間を空けて人が住んでいないとどんどん壊れて行きます。コミュニティが無いと除染みたいな作業も、結局自治体でやっていったりということになっていきますと、コミュニティが無いと持続しないです。住民の入った南相馬とかは5万人位の方が実際にいらっしゃいますし、広野も半分以上になってますが、住民が入ってきれいにしていって、だんだんいろんな、おじいちゃんがいるから孫も来いとそのうちに学校も徐々に開いていくみたいなステップがあります。「最初自分が入ってきれいにしてもいいです」みたいな方も結構いらっしゃいます。やっぱり自分のふるさとを守りたいっていう。外から見ていると、ぱっとこう、住民の方の個別の事情とかいろんなお考えとか家族の中でもスペクトラムの違いがあるっていうのが理解できなくて、単純にこうやればいいでしょうっていう風に思いがちなんですが現実は最初はこういうところを、環境をきれいにしていくっていったら、やっぱり最初に私がやりますっていう方が戻って自分の故郷をきれいにするっていうのが無い限りきれいになっていかない。それで実際にそういうのが進んでいるところはどんどん進んでいる。それで今の政府のやり方で一番問題なのは実は、帰還困難区域っていうのを5年前に決めちゃったのを何もやらないっていう風に決めようとした。ところがそれは一番まずくて、帰還困難区域の隣にうちのある方はいっぱいいらっしゃるわけで、そうするといったら非常に理不尽で、自分の畑の真ん中に突然線が引かれてこっちはもう何もやりませんて言われたら、それ以外の方の地域っていうのは成り立つでしょうか? まず成り立たないと思います。ですからむしろ、今のいろんな除染作業をやっていて、除染が一番有効なのは実は線量の高いところです。一番難しいのは、線量がギリギリで正常だかどうだかわからないところです。それで実は帰還困難区域は実際には除染なんかやったら一番意味がある放射性物質を環境から減らせるところなんです。そういう意味で住民の方が戻ったり色んなことをやって、戻った方の隣のところへどんどん広げていくような格好でない限り、地域の復興というのはありえない。そういう現実感が無いと土木作業をいくらやってもさっき食品検査で申し上げましたが全部のお百姓さんの農家の作ったお米の一つひとつが測られて初めてどこの地域が問題かわかるみたいにこういう環境問題っていうのは住んでいる人の側に立ってやってみないとわからないっていうところが一番難しいところ。そういう点で人の居るところ、南相馬なんかでももう人の住んでいる地域と非難しちゃっている地域では復興のスピードが全然違いまして、いらっしゃる地域の方がはるかに回復も早いし、孤独死や避難に伴う災害関連死も少ないという傾向も出ています。そうすると地域の住民がそういうのを選べるようにするっていうのがすごく大事ではないかと思っています。
質疑応答2)
貴重なご講演をありがとうございました。
子どもの内部被爆の減っていくグラフがありましたけれど、この初期で非常に高かった件数が下がっていったってありますけれども内部被爆によって例えば生殖器だとか臓器が被曝によってがん化したりですとか、蓄積によって40年経ったあとに出てくるとかっていうことが実際数値が減ることによって発症率が減ることにつながるのか、減ったことで良しとしてしまってよいかというのがわからない。
(昭和56年卒業生 男性)
まだわからないですね、それは。本当になんていうんですかね、低線量の被爆の問題で一番難しいのは、統計的なボーダーラインにどんどん近付いていきます。これは検出率でやってるんで検出された方が多いんですが、今のホールボディーカウンターは非常に検出感度がよくなっていますから、そうすると持っている方が見つかったといってこれが何で大事かというと、セシウム137とか134ってもともと自然界にないんで、だから原発か、原発で初めて生み出されたものですからそういう意味で自然界に無いものが人間に入っているという問題ですからそれは無くした方がいいということ。多分そういうテストをやってはいけないんだということだと思います。ただ線量的にいったらばこんなものは治療学とかでみたら問題ないという専門家もいっぱいいらっしゃいます。だけど僕らが心配なのはこういうもの身体の中に入ってしまいますと集まります。私もMITでヨウ素を使っていたんですが、I-125っていうのを使ってたらやっぱりいっぺんMITで検査やった時に厳重にグローブボックスでやってたけど甲状腺に溜まって検出されたことがあって一時注意されたことがありましたが、やっぱり身体の中でヨウ素は全身に行くわけではなくて一か所に集まるわけですよね。そうすると、身体の中でどこかに集まってしまうと全身ではこれだけで問題ないっていっても一か所に集まればそこの細胞にはいろんな変異が入ってしまうんで、危険が起こる可能性は無しではないわけです。そうすると、今、こういう世界的な人体実験、環境散布実験みたいなのをやってしまったっていうのが今の現実なんで、そこに対してコストがかかるからきれいにしないとかっていう議論は私は非常に変なんじゃないかと思っています。ですから自然に無いものを撒き散らしてしまったらばそれはやはりきれいにしていかないと非常に400平方キロに及ぶような膨大な地域をそのまま放置しておいていいっていうのは難しい。それでここのご指摘は非常に鋭くてこの時に起こった事実がその後どうかはわからない。それはですから、これからずっと見ていかなくちゃならない。今甲状腺検査でも多いのか少ないのかずっと議論になってますよね。あの時も低線量被爆もインターネットで見てもらうとワーキンググループって出ている。私申し上げてたのですが、福島の数では統計的な処理は無理ですって。本当の低線量のヨウ素の撒き散らしでどれくらい出るかというのはわからない。だから調査やるのは大事ですが、子どもの甲状腺がんが見つかったらば、どういう薬でどういう風に治療したらよいか、今全部、甲状腺がん小さいお子さん全摘でやっちゃってますが、甲状腺が無いと出産のときに甲状腺クリーゼって非常に危険になるから、女のお子さんなんかは部分的にやって後、何か起こったら薬や何かを合わせて考えていくってやんなくちゃいけないんですけど、そういうなんていうかな、21世紀の最新の問題でなくて、20世紀の原因論の話ばっかりやってるってのが非常に、なんか科学としての行き方が違っている。21世紀の科学はいろんな人の為に役に立つようなことが一番大事というのが私の考えでして、そういう風に見方を変えていかなくちゃ、だから原因論はもちろんありますけど、そういう人たちの生活と健康を守るのにどうやったら一番いいか、一番復興に向けての道筋が立つようなのはどういうのかっていうのを当事者が決める権利を持つのが一番大事だと思います。